僕らが旅に出る理由
旅に出る理由とは何でしょうか。
モラトリアムな若者は、「自分探し」の旅に出ます。
旅で見つけるようなものではないと思うのですが、まあ、旅に出て見つけようとします。
そして、自分探しが成功しても失敗しても、多くの人々は帰ってきます。
旅先でやりたいことが見つかった人はそこに定住することもあると思いますが、
自分探しをするくらいですから、十分な自己分析が出来ることもなく、その地に定住することはなく、
しばらく定住したとしても、少ししたら地元に戻ってくるのでは無いでしょうか。
定住する理由とは何でしょうか。
自分探しが終わると、就職し、家に住みます。
自分探しに失敗しても、「仕事」や「家」が自分が自分であることの証明になります。
「電話番号」「住所」「学歴」「職歴」など、その人がその人であることを決定づける揺るぎない情報が、その人自身である証明になったりします。
ある意味では、「私」が「私」であるということは、私自身が揺るぎないものであるために、揺るぎない場所に定住することといえるかもしれません。
しかし、一方で、オフィスを持たない会社の存在が話題となっています。
オフィス。住所。箱 。
必ずしもそれらが無くても仕事は可能です。
「メールを使わない」という方も増えています。
半世紀以上前に作られたこの技術は、21世紀の現在、とても快適とは言えない技術です。
「私」が「私」であるために必要なものは?
ここからは、DJきなこもちアイス、つまり私自身の話です。
プライベートな生活において、私が私であるために必要な揺るぎないもの(と言っていいのかな?)は、次の2つです。
私の活動を実現するために必要なものは、次の5つです。
友人と連絡をとるときは、TwitterかFacebookで連絡がとれます。
iPhoneをもっているので、 LINEやviberなどのアプリでも連絡がとれます。
一昔前までは、「携帯の番号」とその人自身が紐付いていましたが、今ではSNSアカウントがそれに取って代わろうとしています。
そこで、まず「電話番号」が不要になります。
もちろん、あれば便利ですが、利用頻度はとても低いです。
ほとんどのケースで、skypeで代用できます。
「でもいざというとき・・・」と思う方もいると思いますが、
その「いざ」のためのサービスに年間数万円を払うのは、少々高過ぎはしないでしょうか。
もしあなたのiPhoneに「電話」がインストールされていなくて、App Storeで「いざというときに繋がる 電話」が年間数万という額で販売されていたら購入しますか?
半ば強制的に、当然のごとく徴収されているから支払っているだけで、自分で判断するチャンスが与えられた、多くのひとが使わない選択をするのではないでしょうか。
そのくらい、電話に代わるサービスが充実し、また電話そのものの重要性が下がっているとは思いませんか?
「電話番号」は、私が私であるために必要なものではありません。
そのため、私は2011年12月、約3年半使用したiPhoneを解約しました。
断捨離を進めたら、家の必要性が揺らいだ。
自由であるためには身軽である必要があるので、そのために不要なものの処分を始めました。
1年以上着ていない服、全く使っていないMIDIコントローラー、他のなにかで代用できるもの。
そういったものを、どんどん処分し、いまでも処分しています。
すると、iPhone、iPad、MacBook、少しの洋服、少しの音楽機材があれば、私のやりたいことはほとんど出来ることに気がつきました。
同時に、「家に定住するライフスタイル」は必ずしも必要では無いのでは、という考えが浮かびました。
2011年10月末に台湾に5泊6日の旅行にいったのですが、そのときの持ち物はiPhone、iPad、Tシャツ5枚、パンツ5枚、靴下3枚です。洗濯さえ出来れば、いつまでも台湾で生活出来たのではないかと思っています。
20世紀の社会において、就職し、結婚し、社会的信用を得るためには、住所不定では話になりません。
しかし、今は21世紀です。オフィスレスなビジネスも可能になっています。
家の必要性は揺らいでいます。
Q:つまりノマドってやつですよね?
たぶんそうだと思います。
家を出て、遊牧民のように、友人の家、SNSで知り合った人の家、コンセプトシェアハウス、そういうとろこを転々とした生活が可能になっています。
でも、「俺は地球市民だ!」と言いながら世界中を転々と暮らすこととは違います。
地球市民だから色々なところに住むわけではありません。
そこまでフリーダムではありません。
従来の住所や電話の役割をTwitterやFacebookに置き換えただけです。
全てを棄ててフリーダムになろうという話ではありません。